【コラム】芥川龍之介の小説論

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[2019年6月21日更新]


どういう小説を書くべきか。小説とはどうあるべきか。
そんな小説論を問えば、十人十色の答えが返ってきます。
今回は芥川龍之介の小説論をご紹介します。

 ぼくに「文章に凝りすぎる。そう凝るな」という友だちがある。ぼくは別段必要以上に文章に凝った覚えはない。文章はなによりもはっきり書きたい。頭の中にあるものをはっきり文章に表したい。ぼくは只それだけを心がけている。それだけでもペンを持って見ると、滅多にすらすら行ったことはない。必ずごだごだした文章を書いている。
僕の文章上の苦心というものは(もし苦心といい得るとすれば)そこをはっきりさせるだけである。他人の文章に対する注文も僕自身に対するのと同じことである。
はっきりしない文章にはどうしても感心することは出来ない。少なくとも好きにあることは出来ない。つまり僕は文章上のアポロ主義*を奉ずるものである。
 僕は誰に何といわれても、方解石のようにはっきりした、あいまいを許さぬ文章を書きたい。

※アポロ主義:アポロ的であることにこだわること。アポロ的とは、ニーチェが「悲劇の誕生」の中で唱えた芸術の類型づけの一つ。一般に、静的・知的な秩序や調和を作品の特徴とするギリシアの造型美術や叙事詩などがこれに属するとした。
※方解石:カルサイトと呼ばれる、炭酸カルシウムの結晶。透きとおった水晶のような外見をしている。
(芥川龍之介『文章と言葉と』より)

ひとこと

曖昧なところのない、はっきりとした表現をしたい。そのために凝った文章、凝った文章になっちゃうけど、これだけは譲れない。
ってことでしょうか。
「あいまいを許さない」で十分通じるのに、やれアポロ主義だの方解石だの妙ちくりんな表現を重ねるから、ごだごだしてくるんじゃなかろうか……。

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