【コラム】夏目漱石の風景描写論

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[2019年3月16日更新]


描写をどうするか。
ということについては、十人十色の回答があると思います。
枝葉末節はともかく、根幹にあたる意見は、おそらく皆同じだと思います。
ここでは、風景描写に関する夏目漱石の主張を例に挙げてみます。

精細に描寫が出來て居て、しかも餘韻に富んで居るといふやうな文章はまだ私は見た事がない。或一つの風景について、テンからキリまで整然と寫せてあつて、それがいかにも目の前に浮動するやうな文章は恐らくあるまい。それは到底出來得べからざる事だらうとおもふ。私の考では自然を寫す――即ち敍事といふものは、なにもそんなに精細に緻細に寫す必要はあるまいとおもふ。寫せたところでそれが必ずしも價値のあるものではあるまい。例へばこの六疊の間でも、机があつて本があつて、何處に主人が居つて、何處に煙草盆があつて、その煙草盆はどうして、煙草は何でといふやうな事をいくら寫しても、讀者が讀むのに讀み苦しいばかりで何の價値もあるまいとおもふ。その六疊の特色を現はしさへすれば足りるとおもふ。ランプが薄暗かつたとか、亂雜になつて居つたとか言ふ事を、讀んでいかにも心に浮べ得られるやうに書けば足りる。

(夏目漱石『自然を寫す文章』より)

つまり――

「一から十まで全部描写するのではなくて、特徴的な部分だけ描写すればOK!」ってことですね。

私が思うに、これが小説の良いところです。
例えばマンガなら、人物のヴィジュアルから背景まですべてを描かなければなりません。
ところが小説なら、自分が言いたいところだけ書けば良い。
だから、書きたいものがたくさんあって、どんどん書き進めたいというせっかちさんや、こだわるトコに全力を注ぎたいという偏向的な気質のある人には性に合っています。

また、こういう書き方をすれば、自然と小説は面白くなります。
特徴的な部分だけを書くということは、言い換えれば、面白い部分だけを書くということ。
小説は娯楽なのだから、常に面白く書くべきだと、私は思っています。この主張は、面白い小説を書くための基本指針ではないでしょうか。

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